「力積」という幻影との決別(2012年、日本)
剛体の線運動量mVと角運動量の次元が一致しないという矛盾は、
- 並進運動には[力×時間]という次元の「力積」
- 回転運動には[エネルギー×時間]という次元の「作用量」
という2つの物理量を生み出してしまった。
プランク定数の次元も矛盾した解釈をしていた。
それはあまりにも都合の良い解釈だった。
線運動量m・rVと角運動量の次元が一致したことによって、
「力積」はその存在理由を失い、
「作用量」とは全運動量(運動量と角運動量の和)の変化であることが明らかとなった。
線運動量mVが存在しないのと同様、<span style="color:blue; font-size:12pt">「力積」も存在しない</span>。
「力積」とは線運動量mVという幻が生み出した幻影に過ぎなかった。
さらば、「力積」!!
Good-bye, Impulse!!
線運動量と力積の次元 vs. プランク定数の次元 (従来の理論の矛盾)
この3つの次元を見れば、
従来、いかに、都合の良い解釈をしてきたのかがよく分かる。
線運動量p=mVと力積の次元は一致すると考えられてきた。
-
[線運動量]=[力×時間]
しかし、これは間違いであり、正しくは、線運動量p=m・rVなので、この2つの次元は一致しない。
- [線運動量] ≠ [力×時間]
従来、一致していると考えられていたのは、
同じ物体、つまり、大きさが同じだから成り立っているように見えただけです。
一方、プランク定数の次元は、
- [エネルギー×時間] = [角運動量]
と表わされている。
従来は、これが、さらに、[線運動量×長さ(位置)]に等しいとすら考えられていたが、それは完全な間違いです。
そもそも、線運動量と角運動量の次元が一致しない、
という矛盾を放置してきただけでもその罪は重い。そればかりか、
線運動量を力の次元と関連付けたかと思えば、
角運動量をエネルギーの次元と関連付けてきた。
これをご都合主義と言わずに何と言えばいいだろう?
こんな矛盾に疑問すら感じなかったのが信じられない。
論理的思考を職業とする科学者がこんな非論理を受け入れていたなんて!
線運動量が力を生み出し、
角運動量がエネルギーを生み出すとでも言いたいのだろうか?
線運動量と角運動量にこんな違いがあると考えるのは、全くナンセンスです。
解析力学、つまり最小作用の原理も不完全
Analytical mechanics is not Perfect
ニュートン力学を、最小作用の原理(principle of the least action)という考え方で定式化したものが解析力学です。
ここで言う「作用」とは作用量(Action)のことです。
解析力学でも、作用の次元が、
- [エネルギー×時間] = [角運動量]
と表わされることに何の説明もない。
ニュートン力学と同様に、線運動量pをp=mVと考えている。
- 「原理とはなぜそれが成り立つかをより基本的なレベルから証明できないもの」
というもっともらしい理屈で思考停止している。
解析力学は高校では習わないし、大学でさえ習う人は少ない。
一般人には、理解不能な難解さがある。
でも、結局のところ、前提が間違っているので、ニュートン力学の不完全さ(運動量の不完全さ)と同様に、解析力学、つまり、最小作用の原理も不完全でしかない。
いくら難しい方程式を立てて定式化したとしても、前提が間違っていれば、何の意味もない。結局、今まで、それが正しいと考えられていたのは、大きさがない質点という架空の存在を肯定することで成立しているように見えていただけに過ぎない。ただし、線運動量と角運動量の次元が一致しないという矛盾に触れないようにしつつ。そして、都合のいい解釈をしつつ。
そして、ニュートン力学も、解析力学も、
質点に大きさがあることを認め、
運動量pがp=mrVであることを認めさえすれば、
完全な学問として完成するでしょう。
作用量とは全運動量の変化(2012年、日本)(世界初!!)
Action is the change of Total Momentum
正しい次元の関係は、
- [エネルギー×時間] = [線運動量] = [角運動量] ≠ [力×時間]
本質的に言えば、
- [エネルギー×時間] = [運動量] ≠ [力×時間]
言い換えると、大きさ(半径r)が同じであれば、力とエネルギーは一致する。
[エネルギー×時間]という次元は、「作用の次元」と呼ばれている。
- 「作用の次元とは、線運動量の次元と同じ。」
- 「作用量とは、全運動量(線運動量と角運動量の和)の変化」
- 「作用量というのは、運動量とエネルギーの関係を表わすもの」
これが「作用量」と呼ばれていたものの正体です。
完全な理解にやっと辿り着くことができた。
従来、作用量(Action)は角運動量の次元と同じとしか考えられていなかった。
それはまったく不完全だったと言わざるを得ない。
半分しか理解していなかったからです。
線運動量(Linear Momentum)と関係がなく、
角運動量が特別な存在であるという誤った認識を生んでいた。
そのため、『作用量とは何を意味するのか?』
という疑問に誰も答えられなかった。
線運動量mVと角運動量の次元が一致しないと言う矛盾をかかえたままで、
作用量の意味を理解することなどできるはずもなかった。
「力のモーメント」の次元がエネルギーと一致することの意味(2012年、日本)
「力のモーメント」はエネルギーの<span style="color:red; font-size:12pt">次元</span>と一致している。
それはどんな意味があるだろう?
それは、剛体に「力のモーメント」を加えただけで、
エネルギーに変換されることを意味する。
それは、宇宙の広がりのある剛体で、宇宙の果ての剛体の端に「力のモーメント」を加えた時に、それが回転中心までのはるかな距離を伝わることが既に仕事をすること、すなわちエネルギーであることを意味する。
逆に、もし、従来のように、剛体は全く変形しないという定義に縛られて、一瞬で、宇宙の端から力のモーメントが伝わるとすれば、それは、作用量の次元が力積の次元[力×時間]と一致しなければならないことになってしまうだろう。
そのことは、力積という物理量が実在しないことを示している。
「力積」という物理量は実在しない(2012年、日本)(世界初!!)
Impulse does not Exist
線運動量と角運動量の次元が一致するという真実が判明した今、
力積という定義そのものの存在理由が失われた。
剛体では、1つの力だけで剛体全体が同時に動き出すことはできない。
1つの力で定義された「力積」も存在し得ない。
線運動量mVの次元は[力×時間]ですが、
線運動量mVが存在しない以上、
そのような次元の物理量は存在しないことを意味する。
だから、それと同じ次元[力×時間]の「力積」という物理量も存在しない。
「力積」とは線運動量mVという幻が生み出した幻影に過ぎなかった。
仮に「大きさのない質点」が実在したとしても、「力積」は存在しないだろう。
なぜなら、そもそも大きさのない質点に力を加えることはできないので、動き出すこともないし、運動量も生まれない。だから、力積も存在しない。従来の質点の科学は絵空事に過ぎないということです。
結局、質点は無限小の大きさを持つという「質点の再定義」がなされた今となっては、現実の世界は全て剛体として定義されねばならない。質点とは極めて小さい剛体でしかない。
だからこそ、質点も剛体も作用量で表わされる。
これが論理的に導かれた当然の帰結です。
剛体は、並進運動であっても、回転運動であっても、
「力のモーメント」が剛体全体に作用している。
全体を集めたものが慣性(線慣性と角慣性)であり、運動エネルギーです。
慣性も運動エネルギーも剛体全体に関する物理量です。
剛体を評価するのは部分ではなく、全体によってです。
この基本原理を忘れてはいけない。