2つの次元が一致するのは当然(2012年、日本)
線運動量mVと角運動量の次元が異なることについて、
科学者はどんな言い訳をしてきたのだろう?
誰もはっきり言わない(言えない)ため、
そんな矛盾をかかえていることをすっかり忘れてしまっているようにさえ思える。
線運動量がm・rVであると言う真実によって、
物理学の歴史上初めて、この次元が一致する。
線運動量の次元は角運動量と等価(2012年、日本)(世界初!!)
Dimension of Linear Momentum is equivalent to that of Angular Momentum
線運動量がm・rVと再定義されたことで、
2つの次元が等価であるという当然の帰結をやっと手にすることができた。
線運動量と角運動量を加えた全運動量を正しく評価できるようになった。
- 「線運動量および角運動量の次元はM L2T−1」
これまで何百年もの間、
この2つの次元は異なると言う非科学的な説明がまかり通っていた。
そのため、線運動量と角運動量を加えることさえ許されなかった。
こんなことが信じられていたことは科学の最大級の汚点と言っていい。
次元が一致すると言うこの点だけをとっても、
線運動量がm・rVであることの正当性を示している。
運動量の次元の自己矛盾(従来の理論)
- 線運動量(Linear Momentum)の次元は、M LT−1
- 角運動量(Angular Momuntum)の次元は、M L2T−1
この2つの次元が一致しないことに一度は疑問を持ったことがあるはずです。
当然の疑問です。
最初は疑問に思っても、先生がそう言うし、教科書にも書いてあるので、
じきに疑問にさえ思わなくなってしまう。
これは洗脳の一種です。
相当に強力な洗脳と言っていい。
これほどの自己矛盾は他に見たことがない。
並進と回転に関する物理量の中で、この一点のみに矛盾が存在する。
こんな矛盾を基礎にして理論を積み上げて行くことに意味があるとは到底思えない。
これは、運動エネルギーと回転エネルギーの式の形の対称性と同様に、
線運動量mVと角運動量Iωという式の形のあまりにも美しい対称性に自己陶酔してしまったことによる最悪の結果です。
- 質量m ↔ 慣性モーメントI
- 並進速度V ↔ 角速度ω
これを単純に入れ替えるだけで、並進運動と回転運動を表わせると最初に教わったとき、自然はシンプルで美しいというもっともらしい知識によって、この自己矛盾に対する疑問がすっかり消え去ってしまう。
しかし、冷静に考えれば、次元が異なる物理量はまったくの別物です。
それを同じ物理量だと言い張ることは、
論理矛盾であり、非科学以外の何物でもない。
このような矛盾を科学者が許してきたことを論理的に正当化することは誰にもできない。
運動量で解く問題とエネルギーで解く問題があることの矛盾(従来の理論)
教科書に載っている問題の中で、
これは運動量で解いたほうが良いと言うものと、
逆に、エネルギーで解いたほうが良いと言うものがある。
なぜそうなのか、誰しも疑問に思ったことがあるはずです。
その理由を誰も明確に示することもなく、曖昧にしてきた。
そのことは、線運動量の定義が間違っていたことを暗に示している。
どっちでも解けると言っているようにも聞こえるが、
運動量で解けるのは、並進運動だけの問題、回転運動だけの問題です。
逆に、エネルギーで解けるのは、並進運動と回転運動が同時に起きている問題(転がりなど)です。
結局、線運動量と角運動量の次元が一致しないという矛盾に触れないように避けてきた。
それは、明らかに、厳密さを求める科学者らしくない態度と言わざるを得ない。
慣性モーメントと角運動量の従来の求め方の論理矛盾
角慣性、いわゆる慣性モーメントは(参考文献23のp.259)、
剛体各部の質点の運動エネルギー1/2miVi2(回転エネルギーではない)を合計したものが回転エネルギーという計算から出てきたものに過ぎない。
だからこそ、運動エネルギーと回転エネルギーの次元は一致するし、
それを加えたものが全運動エネルギーとなるのは当然です。
一方、角運動量は、剛体各部の質点の角運動量miViri(線運動量ではない)を合計したものだと定義している(参考文献23のp.291)。
つまり、線運動量mVと角運動量の関係性は何も証明されていない。
エネルギーのような関係式で示されていない。
線運動量と角運動量の次元が一致しないのも当然です。
ここが矛盾する。
回転エネルギーが質点の運動エネルギーの和であると言うのであれば、
角運動量も質点の線運動量の和でなければならないだろう。
考え方に一貫性がない。
エネルギーと運動量の考え方が異なると言うのは論理矛盾です。
つまり、剛体の運動量という基本的な概念に重大な欠陥があると言うことを示唆している。