公転半径が惑星の運動量に関係するはずもない(2012年、日本)
従来、惑星は公転角運動量mRΩ2というとてつもなく大きな運動量を持つと考えられてきたが、実は、向心力の運動量に過ぎない。
それは太陽の運動量であって、惑星の運動量ではない。
惑星を質点と考えたことがすべての元凶だった。
向心力の運動量(2012年、日本)(世界初!!)
Momentum of Centripetal Force
- 向心力:mRΩ2(=mV2/R)
- 向心力の運動量:mR2Ω(=mRV)
両者の形の類似性が全てを物語っている。
向心力が公転半径Rの関数であるという事実を理解していれば、
mR2Ωが向心力に関係する運動量であることは疑いようがない。
それ以外あり得ない。
従来、これは惑星が持つ「公転角運動量(軌道角運動量)」と考えられ、
太陽が持つ角運動量(自転)よりもはるかに大きな角運動量を惑星が持っているとまじめに考えられてきた。
それは完全な間違い(非科学)です。
向心力という力が実在する以上、
「向心力の運動量」が実在するのは必然です。
遠心力は見かけの力(Fictitious Force)なので、
遠心力の運動量は見かけの運動量(Fictitious Momentum)である。
今まで、向心力と言う概念はあったが、「向心力の運動量」という考え方を誰も提示しなかった(できなかった)。運動量の変化が力であるという基本的な原理があるにもかかわらず、向心力の運動量の存在は無視され続けてきた。
それは、向心力を誰も完全に理解していなかったということを物語っている。
公転と自転の運動量の意味を全く理解されていなかった。
公転角運動量の中に、もし向心力に関する運動量が含まれなければ、向心力が存在しないことになってしまう。それは重力が存在しないと言っているに等しい。
惑星の公転運動が質点の運動と等価であると言うもっともらしい考え方によって、結局、惑星が持つ本当の運動量m・rVをゼロと見なしてしまったがために、残ったmRVが惑星の持つ角運動量であると、何の疑問もなく、そう考えてしまった。
誤った3段論法を適用してしまったと言うことです。
前提が間違っていたので、結論も当然間違っていた。
間違っているという認識さえないので、性質(たち)が悪い。
学生時代から間違った理論をすり込まれているからです(参考文献[33])。
そもそも、太陽の持つ運動量よりはるかに大きな運動量を惑星が持つという説が唱えられた時に、それがおかしいと誰一人として疑問に思わなかったことが、科学者らしくない。全てに疑問を持つのが科学者の本来あるべき姿だからです。
そして、そもそも、自転の角運動量と公転の角運動量という2種類の角運動量を同時に持つことなどできるはずもない。これが非科学的な論理であることに誰一人として気づかなかったことが信じがたい。
ニュートン以来、実に、300年以上もの間、こんな基本的な原理を理解しないまま天文学が論じられてきたことを科学者は大いに反省すべきでしょう。
惑星が持っている角運動量は自転の角運動量であって、
向心力の運動量mR2Ωではない。
そして、惑星は線運動量mrVも持っている。
惑星を質点と見なしたことが元凶
太陽の重力が突然ゼロになったとすれば、
惑星は、線運動量mrVで直進し始めるだろう(r: 惑星の半径)。
決して、線運動量mRVで直進し始める訳ではない(R: 公転半径)。
公転角運動量と考えられてきたmR2Ω(=mRV)は、単なる<span style="color:blue; font-size:12pt">向心力の運動量</span>だったというのが真相です。
結局、惑星という剛体を質点と等価と見なす(参考文献[33])という常套手段が全ての元凶だった。惑星の線運動量mrVと言うもっとも大切な部分を消し去っていた(r=0)からです。
つまり、惑星を質点と見なすと言うことは、
- 惑星の線運動量をゼロと見なすことを意味する。
- 太陽の重力が消失した瞬間に、惑星は停止してしまう。
ここが論理矛盾です。
言い換えれば、惑星が大きさのない質点であるなら、
そもそも回転(公転)することさえないだろう。
太陽の重力があるから惑星が回転(公転)しているのではない。
惑星に並進の速度があるからこそ、回転(公転)できる。
従来の説のように、
仮に、公転しているときにmRVという角運動量を持っていたとして、
直進し始めた途端に線運動量mVになるはずもない。
運動量は保存されるはずなのに、一体どうやってmRVからmVになると言うのだろう?
第一、従来の物理学では、線運動量mVと角運動量の次元が異なるため、
それがどう変換するかさえ明らかにされていない。
線運動量mVと角運動量の次元が異なるという致命的な欠陥を放置し続けてきたことのツケが自分の首を絞めていると言えるだろう。
- 自転の角運動量のときは剛体として計算し、
- 公転運動を考える時には質点として計算する。
そのことを今まで当然のごとく正当化してきたが、
どう考えてもそれは非科学と言わざるを得ない。
全てが矛盾している。
こんな簡単なことが理解できなかったのが本当に不思議です。
惑星の公転運動という具体的な例を考えることで、「質点とは大きさのないもの」という従来の定義そのものが論理矛盾をかかえていることがはっきり理解できる。
- 「大きさのない質点には線運動量は存在し得ない。」
惑星の公転運動を考えるときに、
惑星を質点と見なすことはまったく無意味です。
だからこそ、<span style="color:red; font-size:12pt">質点の再定義</span>が必要になる。
それでもなお、従来の理論が正しいと主張する人がほとんどかもしれない。
こんな物理の基本に間違いがあるはずがない、
と考えたい気持ちもよく分かる。
そう思うなら、矛盾がないことを論理的に証明してみてください。ただし、教科書に書いてあるから正しい、などというのは何の証明にもならない。
公転の角運動量に向心力と遠心力とのつり合いは含まれていない
公転の角運動量には、
遠心力と向心力がつり合うと言う条件が含まれていない。
そのことを完全に忘れていたことが、間違った答を信じてしまった最大の原因です。
従来の説で公転角運動量mRVと考えられていた値は、実は、
半径Rの超巨大惑星が速度Vで直進している時の線運動量に相当する。
木星の公転半径Rと等しい半径の超巨大惑星がもし実在したら、
それは、確かに、太陽の持つ角運動量よりもはるかに大きな線運動量を持つだろう。
木星に働く向心力(太陽の引力)は、それくらい大きいと言うことです。
素人でもハンマーの球を持つくらいはできるけれども、
わずか1メートル程度のワイヤーがあるだけで、選手のようにハンマーを回転することはとてもできない。そのくらい向心力と言うのは大きい(ハンマー投の運動量を参照)。
まして、木星の公転半径Rだけ離れていれば、
とてつもない向心力になるのは容易に想像がつくだろう。
向心力は惑星の運動量には含まれない。
太陽の重力がゼロになった瞬間に、回転(公転)に関係する部分(向心力)が無効になる。
太陽からの距離も公転周期(角速度)も意味を失うからです。
公転の角運動量というのは、結局、その大部分は向心力に過ぎない。
肝心なのは、惑星の線運動量mrVだけです。
つまり、公転運動とは回転ではなく並進運動である。