段差の高さが同じなら、傾斜角が変わっても転がる距離が常に一定??!!
斜面を転がるのも平面を転がるのも同じことになってしまう
Stimpmeterと同じ条件だからと言って、グリーンスピードと同じ距離ではないのは誰でも分かる。
そして、細貝氏の「パット・エイミング教本」のように、勾配と関係なく、グリーンスピード7.5ft(2.286m) - 斜面の長さ2.5ft(0.7620m) = 5ft(1.525m)という単純計算も間違いです。
正しい考え方で示したように、段差の下を転がる距離は斜面の長さとは無関係です。
あくまでも、傾きが変わるとボールに加わる力が変わることが原因です。
だから、細貝氏の言うような斜面の長さを含めた距離がグリーンスピードと常に一致する、という関係性はあり得ない。
傾斜が強くなると、高さが同じであれば、斜面の長さが短くなる。それと同時に、段差の下を転がる距離は延びる。結果的に、斜面も含めて転がった距離は、だいたい一定することになる。
だからと言って、完全に一定するという証明にはならない。
難しく考えなくても、直感的に分かることだが、細貝氏の言うように、仮に、斜面を含めた距離がグリーンスピードと一緒というのが本当なら、斜面を転がるのも平面を転がるのも一緒ということになってしまう。私が細貝氏の本を読んで、最初に違和感を覚えたのは、まさに、この点です。
正しい計算と比べて20センチ以上の誤差
段差の下を転がる距離は、斜面の勾配(傾斜の強さ)を正しく評価する式(2-30)での計算と比べると、おおよそ20センチ以上の誤差で短くなっている。
段差が高くなるとこの誤差はもっと大きくなる。
例えば、典型的な段差の高さは45cmなので、40センチ近い誤差となってしまう。これは無視できるような誤差ではない。
細貝氏の考え方の最大の矛盾は、以下のように、斜面も含めて7.5ft(グリーンスピードと同じ長さ)という理屈が合わないことです。
傾斜角90degに近づくとき理屈に合わない
傾斜角が90degに近づくにつれて、転がる距離は、グリーンスピード7.5ft + 斜面の高さ0.86ft = 8.36ftに近づくはずです。ところが、
- 40degと言う急傾斜なのに、8.36ftになかなか近づかないことが不自然です。
- 89degというほとんど真っ逆さまになったとしても、段差の下を6.65ftしか転がらない。
- 90degになった途端に、急に距離が伸びて、段差の下を7.5ft転がるようになるという理屈です。
こんなことは絶対にあり得ない。
これだけ急傾斜になったら転がらずに、実際には滑ってしまいますが、滑らないと仮定した時、こういう仮想的な条件であっても、現象の連続性を説明できないことは、根本的な考え方が間違っている証拠になる。
傾斜の強さg=1の斜面の長さと不連続になるのは理屈に合わない
傾斜の強さg=1相当の傾斜角5.974deg(10.464%)のときの斜面の長さは8.22ftです。
この時には、軽く触ると等速で転がり落ちて、段差を下り切ったところで停止する。
そして、その角度を少し大きくしただけで、斜面も含めて、8.22ftから7.5ftに急に短くなる、というような都合のいい現象が起きるはずもない。
このように、最初に止まらなくなる傾斜(g=1相当)〜傾斜角90degまでの連続した勾配の変化を論理的に説明することができない。
そこが、明らかに、細貝氏の考え方の論理矛盾です。
必ず止まる傾斜との一貫性がないことが理屈に合わない
必ず止まる傾斜(g< 1)の場合も、位置エネルギーで転がる距離が決まるわけではない。
初速が同じ(打つ強さが同じ)であれば、転がる距離は、傾斜の強さによって決まる。
摩擦がない架空の問題(学校の教科書にある問題のように)とそこが違う。
この点は、細貝氏も理解しているはずです。
それなのに、止まらない傾斜になった途端、転がる距離が位置エネルギーだけで決まる、という論理の飛躍が起きてしまっている。
論理の一貫性がない。
段差の傾斜が途中で変わる状況で理屈に合わない
この反例が一番分かりやすい。
加速する傾斜が2.5ftあって、その後、等速で転がる傾斜が5ft続くという段差を考えてみよう。
段差の高さはStimpmeterとまったく同じなので、細貝氏の法則では、グリーンスピードとまったく同じ長さの斜面が終わった時点で停止するという理屈です。
しかし、最初の2.5ftの間に、加速しているのですから、その分だけ段差の下を少しは転がるので、理屈に合わない。ちなみに、正確に計算すると、段差の下を約0.72ft(22cm)も転がる。
この反例だけでも、傾斜角に関係なく、転がる距離が一定するという理屈は明らかに間違っている。
「パット・エイミング教本」のP.22のように切りの良い数字で説明するのは、分かりやすくなるという反面、こういう微妙なケースを厳密に評価しないと、何が正しいのかを見誤るという危険性が潜んでいる。